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2016.01.02

初詣の帰り道に思う

 昨日、初詣の帰りに四ケ町の中を歩いてみました。ついに佐世保玉屋が元旦初売りを始めたとのこと。三ケ町の雰囲気は例年通りでしたが、玉屋前の交差点を渡ったとたん、「今日はほんとに元日?」と疑ってしまうほどの賑わいでした。かなり多くの店が開店しており、西沢もジャスコ(イオン)などの大型店までも一斉に...。

 昔は、元日に開いているのは映画館とパチンコ屋くらいでした。そして、もらったお年玉を懐に入れて、2日の早朝(ほとんど元日の深夜)から街に繰り出すのが佐世保の初売りでした(高校卒業するまでは日本中がそうなんだと思い込んでいた。)が、おそらくは今朝の四ケ町は例年以上に閑散としているのではないでしょうか。(って、買う物...いや先立つものがないので出かけることもない私。) だって、ペン吉さんが「明日の朝に行く意味が無いから、今のトコ予定無し」って言ってましたから、きっとそう。もう「あの佐世保の初売り」は消えて無くなったなと感じざるを得ませんでした。

 毎年この時期が来ると同じ事を考えてしまうのですが、日本がどんどん余裕の無い、苦しい国になっている理由は、実はこうしたことに原因があるではないかと。日本人故の「やり過ぎ」文化です。だれかが 暗黙のルールを破って1日早く初売りを始めると、他の店もそれに追随するしかない。無理をして、苦しくなって自滅する。商売をやっている人たちは、「そんなに甘くはない。」と言うかも知れませんが、元日から営業をしている店の従業員たちも「正月くらいは...。」と思ってるんじゃないかなぁ。代わりの休みがあるならともかく、明日も明後日も営業。経営が苦しいから従業員の数も少なく、交代で休みを取るなんて事もきっとままならないはず。従業員の人たちの家庭が崩壊することがなければいいなぁって、そんなことまで考えてしまいました。

 往々にして、小さな変化は目に見えない広がりを経て、大きな変化につながるものです。初売りが元旦にシフトすると、家庭内で元旦に家族そろってお屠蘇を飲む時間がうばわれるかも。お年玉を渡すタイミングをずらすことになるかも。そんな変化が家族の心に変化を与えるかも...。こういう風に考える事自体が「古い」と言われるのかも知れませんね。

 今日くらい店が閉まっていてったいいのに。
 そうしたら、家族との会話の時間がもてるのに。
 
 携帯電話なんて無くていいのに。
 そうしたら、顔を合わせて話す時間がもてるのに。

 元日から店が開いていたら便利かも知れないけど、本当にそこまで必要なの?

 いろんなことが、同じパターンで、同じような変化をもたらしているのです。


 佐世保の2日早朝初売り文化が消え、消費拡大どころか逆向きに進むことがありませんように。四ケ町を歩きながら、心の中で祈りながら、自宅に戻りました。

※この時、こどもが買って食べてた「ロッテリアの5段バーガー」はさすがに迫力があった。おかげで彼らは夕食のおせち料理にはまるで手をつけていませんでしたが...。

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コメント

 「合成の誤謬」かぁ。勉強になりました。

 時代の流れに流されるだけではいけないのが(経済界の)トップ...だと思うんだけどね。「みんなで元日は休もうよ。」って言ってまとめてくれるリーダーが必要なのではないかと。どこの世界も。

投稿: かんねん | 2016.01.04 18:20

 私の座右の銘が合成の誤謬です。1月1日に店を開ける事は合成の誤謬化していると思いますが、しかし、経営者的には時代に抗うのはなかなか難しかろうとも思います。

 1月1日に東京駅に居たことがここ最近2度ほどあるのですが、まあ、素晴らしいくらいに店が閉まっておりまして、朝食を手配するのが困難でした。都会でも意外に正月あるんだなと思ったものです。

 そもそも1月1日の朝から店を開けるための人を確保することが難しくなるやもしれませんね。今年年を越したホテル(品川)の年越しバイトはみな中国人でした。

投稿: くめっく | 2016.01.04 17:15

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