2018.07.22

シンガポール旅行記 その63

 タクシーはまもなくBras Basah Complexに到着する。運転手に、「ここで間違いないか?」と聞かれ、初めての場所故知るはずもないが、「ここだ。」と言っている自分がおかしい。カナダでタクシーに乗ったときは、降りる前、いったいいくらチップを加えれば良いか猛烈に悩んだが、ここシンガポールでは日本同様チップの習慣はないと聞いているので、メーター表示通りの料金を払う。

 外見は集合アパートのように見える建物だった。中に入ると吹き抜けがあり、下から上の方まで見渡せる。時間は昼時なので、すでに「朝早いから」は適当ではないが、なぜか人の気配がほとんどない。シンガポールの平日の昼間とはこんなものなのだろうか。それとも、ここはその程度の人気なのか。

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 エスカレーターで上りながら大まかに各階の様子を眺める。書道用品、音楽CD、美術用品、古本などのお店が並んでいる。どこを見渡しても軽く中国感がある。書道用品はもちろんのこと、中国語の古本や音楽CDを買う気にはならない。1階に郵便局があったことを後で知る。もし気づいていたら切手を買っていただろう。ここでも予習なしの行き当たりばったりの旅の罰が下された感じ。

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    「Popular(大衆書局)」 大衆ってなにを意味するんだろう...。

 3階に上がると赤い壁に「POP」と書いてある。すぐには気づかなかったが、これがPopular(大衆書局)だ。書店内に入ると、なるほど!(゜Д゜) こここそが私たち夫婦が求めていた場所だった。フロアーのほとんどがいわゆる「学参」で埋め尽くされている。教科書、参考書、専門書、問題集、文具の類いが見事にそろっており、日本の巨大な本屋さんの学参コーナーといった空気があふれていた。

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     店内の本の並べ方が日本に近い感じ?

 妻は入ってすぐの所に平置きされた、小学校1年生から6年生(相当)のドリルに見はまっている。私はすかさず高校物理のコーナーを探しだし、大学入試レベルの問題集をあさりだした。あるある、たくさんある。参考書より問題集が欲しい。参考書だったら英語で書かれているだけで、日本のそれとは大して変わらないはず。しかし、練習問題にはお国柄がでる。棚を見渡すといくつかのレベルに分かれていることがわかる。とりあえず中をぱらぱらとめくってみると、その内容でレベルの大まかな違いがわかった。あとでネットで調べたら、次のように書いてあった。

<シンガポールの能力主義システムの概要>
 シンガポールでは、初等学校から始まる各段階で、生徒の能力に応じて選別していくための試験が行われる。まず、初等教育4年生の終わりに、学校が独自に定める基準によるテストが行われ、オリエンテーション段階(初等教育5~6年生)に向けた振り分けが行われる。その後、初等学校卒業試験(PSLE: Primary School Leaving Examination)、中等学校卒業時のシンガポール・ケンブリッジ「普通」教育認定試験(GCE-O:Singapore Cambridge General Certificate of Education, Ordinary Level)、ジュニアカレッジ等卒業時のシンガポール・ケンブリッジ「上級」教育認定試験(GCE-A (Advanced Level))が行われ、これらの成績によって、以後の進路が決められる。

 多少は違うが、差し詰め日本風に言えば

 O level=高校入試レベル
 A level=大学入試レベル(その中にH1とH2のグレードがある?)

という感じのようだ。私が興味があるのは当然A levelで、悩みに悩んで次の2冊を購入した。左はGCE A level H2の10年分の過去問集で、内容はマーク式と記述式の両方が載っており、右は同じレベルだが、分野別に編集されたマーク式の問題集である。

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    S$16.95(約1,480円)          S$15.90(約1,390円)

 マークと記述の両方があるというところは日本と似ているが、シンガポールの試験はどこの学校でも共通問題(シンガポールがケンブリッジ大学と提携しておこなっている英国式の試験)で、どのグレードの試験を受けてどれほどのスコアを取ったかで進路が決まるというしくみなのだろう。今、日本も大学入試改革がおこなわれようとしているが、こうした英国式あたりも参考にしながら検討されているだろう。それにしても、シンガポールに来てまで問題集を買って帰ろうだなんて、職業病か。あっ、妻も買っている。似たもの夫婦だ。

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            2016年のマーク問題の一部

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            2016年の記述問題の一部
 
 
 そろそろおなかもすいてきた。何か食事ができるところを探しに行こう。

(つづく)

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2018.06.28

シンガポール旅行記 その62

 タングリン・モール(Tanglin Shopping Centre)に向かう道は、引き続きひっそりとしている。一生懸命思い返しても、思い出の中に音がない。車は切れ目なく走っているというのに。

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     なるほど、全部こっちに向かっている

 大した距離を歩いたわけではない。慣れていたらあっという間だったのだろう。しかし、いつ目的地が現れるのかわからないままの歩みの時間は長く感じてしまう。初めてのお使いは常に、行きは困難の連続、帰りは一瞬だ。

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  どうやら裏口から入ったようだ       正面はこんな感じらしい

 タングリン・モールに到着する。少し暗い感じはするものの、スポーツ用品や衣類、靴、おもちゃ、小物、ベビー用品と多彩で、テイストは多少異なるが、落ち着いて考えると日本のイオンモールと同じかも。上位階にはレストランなどもある。日用品には興味はないが、シンガポールならではの小物などを眺めつつ、お土産になりそうな物がないか探して歩いた。しかし残念ながら、ときめく物は見つけられなかった。地下に降りると、スーパーマーケットが現れる。昨日、高島屋の食料品売り場をみてしまった後だけに、大きな感動はない。サイズも半分くらいだが、それでも生鮮食料品コーナーがおもしろかった。買うわけではないが、品揃えと共にそれらの売られ方にはやはり目を奪われる。自分の手が届く範囲の物だから反応するのかもしれない。

 これ以上、ここにいてもしょうがないかな。そんな気分になってきた。そろそろ次の場所に向かって移動することにしよう。オーチャード通りを西に向けて歩いたこの時間は、最後まで、「今ひとつ賑やかでない店舗めぐり」で終わった感じがした。

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 アジアらしさと共に、どこかに都会らしさを感じる生鮮食料品の売られ方

 次に行くところは決めている。前日の食事の際、紀伊國屋では参考書の類いを見つけられなかったという話をしたところ、ジェンが「Popular」という本屋を紹介してくれた。事前にネットで調べたところ国内に何店舗かあるようで、なんとなく「Bras Basah Complex」というモールの中の店舗に行ってみようと考えていた。理由は...全くの山勘である。

 ちょうどいい。タクシーに乗ろう。タングリンモールの入口にはタクシー乗り場があったので、簡単にタクシーを拾うことができた。

 「Bras Basah Complex, please. It's just beside the National Library.」

 カナダの時と同じ。タクシー内で必要な英語はこの程度。右ハンドルのタクシーの中から見る風景はおおむね日本と同じであり、わずか3kmほどの距離だがほっと一息つく時間となった。

(つづく)

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2018.06.18

CANGOXINA

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大ちゃんを、真似てみた。

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2018.06.11

シンガポール旅行記 その61

第3日目 8月17日(木)

 6時半頃、目が覚める。体は思ったほど疲れてはいない。今日も元気に歩けそうだ。7時半から朝食をとった。ビュッフェ形式なので前日と同じラインナップだが、あれだけたくさんの種類があると、十分違うメニューを楽しむことができる。でもあいかわらず、美味しいコーヒーにはありつけないということでもある。

 日本同様、10時にならないとどこも店が開かないので、9時半頃、ホテルを歩いて出発。通常だとチェックアウトは11時のようだが、HISの特別サービスで16時だと聞いている。心配なので一応フロントで確認したら、間違ってはいなかったものの、簡単な手続きが必要だった。確認してなかったらどうなっていたのだろう。

 8月の赤道直下だが、普通に暑い程度。日本の夏によく似ている。

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 目的地のタングリン・モール(Tanglin Mall)は、オーチャード・ロードのはずれにある。おそらく、ホテルから歩いて1kmくらい。タクシーに乗るという手もあるが、朝の散歩にはちょうど良い。パターソン・ロード(スコッツ・ロード?)の向こう側にはまだ行っていないので、歩くスピードで風景を楽しみ、興味を惹くものがあれば寄り道してもいい。1日目の夜同様、パターソン通りを越えようとアイオンオーチャードの地下に入るが、また迷う。何をやってるんだ俺。ここの地下街は本当にコンパスを狂わせる。変な方向には行きたくないので、あきらめて元の場所に戻り、ほんの少し回り道して横断歩道を渡る。木曜日の朝9時半のこと。ラッシュは終わってるんだろう。流れゆく車はそれほど多くはない。

 オーチャード・ロードの西半分は思ったほど賑やかではなかった。もしかしたら平日の朝だからかもしれないが、2日前の夜、遠目に見たときも何となく明るい感じはしなかった。道に面した開放的な店がないから静かに感じるのだろう。最初に泊まろうとしていたヒルトンが現れる。ヒルトンじゃなくてマンダリンでよかったと思った。ヒルトンのすぐ隣に、ファーイースト・ショッピングセンター(遠東購物中心:Far East Shopping Center)を発見。怪しげな空気に惹かれる私。身構える妻。ここは入るでしょう、普通。

 中に入ると、小さな商店が隙間なく並ぶ、ちょっと古い感じのするモールである。エスニックな感じはするが、中国系やらイスラム系やらよくわからない。例によってシンガポール特有の多国籍感一杯だ。食料品などの店もあるが、主に衣類や貴金属、ゴルフ用品など。

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 店主が店番で客待ち 昔の日本もこうだったなぁ

 ここもまた朝早すぎる時間だったせいだろう。ひっそりと静まりかえっており、心なしか薄暗い。オーチャードはどう考えても観光客向けの通りなので、地元の人たちが生活で利用する感はない。だとすると、こうして売られている商品は私達が買う前提の品? ううん、こんなメガネやスーツをお土産に買うことはないなぁ。商売、成り立ってるのかなぁ。他の階を見ても、レストランはあったが時間的にそこには用はないので、早々に引き上げることにした。次の所に行こう。

(つづく)

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2018.06.05

シンガポール旅行記 その60

 しまった。Ohchardまで来てしまった。よく考えたら、一つ手前のSomersetで降りた方がホテルに近かったのに。私たちがマンダリン・オーチャードに泊まっている事を聞いていたジェンが、オーチャードを連呼していたので、ついつられてオーチャードまでの切符を買ってしまい、ここまで来てしまった。まあ、昨晩のお散歩と同じ距離なので、また歩けばいいだけか。しかし、すでに10時を過ぎている。ひたすら歩き回った一日だったので、一刻も早くホテルに帰ってシャワーを浴びて、ビールでも飲みたいところだ。

 オーチャード通りを東に向けて歩く。昨日、ホテルの近くに見つけたコンビニに立ち寄って買い物をする。妻はスナックを買おうとしていた。私は、昨日買ったつまみが残っていたので、「タイガービールだけ一緒に買っといて。」と伝えて、店の中を見て回った。支払いが終わった妻が私の所に戻ってきて、

 「レジで並んでいたら、前の人が、時間がどうとか言って順番を譲ってくれた。」

と言う。そうか、22:30になる寸前だったんだ。酒類規制法か。お店の人も買いに来た人も、この時間は敏感になってるんだ。前に並んでいたのが親切な人だったおかげで、風呂上がりにタイガービールを飲める。ありがたい。

 ホテルに到着。部屋に戻る前に、昼間の観光バスの中で注文したお土産の品物を受け取りに行く。一階の手荷物預かり所のところでもらうようにと言われていたので、とりあえず受付の所で聞いてみた。引換券を見せて、

   私「この荷物は届いていますか?」
 従業員「×?○3&5$*%Y#@」

 げっ...。やっぱりここでも彼らの話している英語がわからない。(^_^;) カナダではすぐにカナディアン・イングリッシュにに耳が慣れたが、シングリッシュは簡単には慣れないようだ。相手が何を言っているかは無視して、一方的に内容を伝える。方法はこれしかない。幸い、「少々お待ち下さい」的な反応をしてくれてはいるのだが、なかなか荷物が出てこない。観光バスの中での買い物なので、こうした荷物はきっと毎日届いているのではないかと思うのだが、なぜか手間取っている。まさか、お金だけ取って品物は届かないなんてことはないよね。いや、そんなことは絶対にないと思う。こっちもさすがに一日中歩き回ったあげくの23時前である。そろそろ疲れてきた。やっと出てきた。やっぱり外のおじさんに聞いた方が早かったのかもしれない。もう何でもいい。無事にチョコレートとカヤジャムを手に入れた。

 部屋に戻って、シャワーを浴び、テレビをぼーっと見ながらタイガービールを飲む。長い一日だった。観光バスに乗ってよかった。おかげで、この一日でシンガポールとはどんな国なのかを駆け足で知ることができた。ジェンとチュアンに会えたおかげで忘れられない夜の思い出ができた。明日は、今日できなかったことをできるだけ経験しよう。明日の予定は...

・雑誌に紹介されている「タングリン・モール」
・ジェンが紹介してくれた「Popular」という本屋
・「シンガポール国立博物館」
・今日乗れなかった「リバークルーズ」
・ガーデンズ・バイ・ザ・ベイのライトアップ・ショー
・オーチャード付近で食事をしてから空港へ

 シンガポールを発つのは明日の深夜25:20であり、空港に向かうシャトルバスがマンダリン・オーチャードに来るのが22:00なので、まさに朝から晩まで最後のシンガポールを楽しむ一日である。暑い一日ではあったが、想像していたほどではなかった。明日もほどよい天気の一日であることを願って、早く寝た。


 2日目、終了。この1日を描くのに約4万字。書き始めて9ヶ月が経つ。早く仕上げないと、記憶が危ない...。

(つづく)

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2018.06.01

シンガポール旅行記 その59

カベナ橋(Cavenagh Bridge)
 1869年、シンガポール川の河口部に架けられた歴史的建築橋で、19世紀の大英帝国インド総督の名前に由来するシンガポール最古の橋。橋を保護するために、およそ150kgを超える車や牛馬の通行が制限されたが、それを通告する標識が現在も橋の両側に立っている。

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     イギリス式の古い小さな橋である

 看板に書かれている文章は、

POLICE NOTICE
CAVENAGH BRIDGE
THE USE OF THIS BRIDGE IS PROHIBITED TO ANY VEHICLE OF WHICH THE LADEN WEIGHT EXCEEDS 3CWT. AND TO ALL CATTLE AND HORSES.
BY ORDER CHIEF POLICE OFFICER

 「CWT」は、イギリスらしくヤード・ポンド法のハンドレッドウェイト(hundredweight)、すなわち100ポンド(約50kg)だそうで、(って初めて知った。)「150kgを超える荷物を積んだ輸送車両と牛と馬は通行禁止」ということである。なんだか、いい感じだなぁ。(´д`) そうか、チュアンも同じ所に癒やしを感じているわけか。納得。

 橋を渡ると、夜の金融街の足下に忍び込んだ感じ。地下鉄の入口に導かれるように、ジェンらについて歩く。「ここはどこら辺なんだろう。」 そう、もらしたとき、

 妻「昼間歩いたでしょ。」
 私「えっ? (@_@)」

 衝撃的な事実であった。方向感覚があると思っていた私は自分の位置がわかっていなかったが、妻は自分がどこを歩いているかを理解していたのだ。

 妻「だってここ、マーライオンの所に行くときに降りた駅のところでしょ。この橋だって、その時に向こう側から見たの覚えてないの? 私達って案外、一日中、おんなじ所をぐるぐる回ってるだけじゃん。」
 私「ええっ? (@_@;;)」

 頭の中をフル回転し、今日一日の風景を必死で思い出そうとしたが、この時は妻の言うことがまるで理解できなかった。風景が有機的につながらない。なんてこったい...。

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    こうして経路を地図に落として初めて理解できる自分に気づく

 数年前に見た、「男と女が地図を見るときの違い」について検証するテレビ番組を思い出した。その番組の結論は、「初めて行く目的地にたどり着かせたかったら、男にはGoogleマップのような正確な地図を、女性にはポイントだけを書き込んだデフォルメされた手書きの地図を渡せ。」というものだった。男は方位や距離で場所を理解しようとするのに対し、女性は周りの風景や建物で判断しようとするというのだ。だから男は正確な地図があれば初めての場所でも対応できるが、女性は事前に特徴的なランドマーク情報がないと初めてに対応できにくいということらしい。そういえば、「話を聞かない男、地図が読めない女」というタイトルの本があったなぁ。この時の私は、アンテナを張らぬままジェンについて街をぐるぐると歩き回るだけで、完全にコンパスが働かなくなっていた。しかも風景など位置情報源として見ていないわけだから、まさに方位的に路頭に迷っていた状態だった。しかし、妻は何度か見かけた建物や橋の様子から、自分が今どこにいるのかを立体的にわかっていたということである。

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 今でもこういうデフォルメ地図が苦手でしょうがない私

 改めて男と女の違いがよくわかった。日頃、何かあるたびに妻に「地図が読めない」とか、「方向音痴」などと言っていたが、私は橋の反対側から来たことにすらも気づかなかった。まさに私も「周りを見ていない男」でした。ごめんなさい。

 男と女には絶対に超えられない性の壁がある。性の違い故の得意不得意がある。権利主張は同じであるべきだが、何もかもを同じにしようとすると、おそらくは男女ともに生きにくい世の中になる。互いの違いを理解し、補完し合い、尊重し合う関係でなければならない。3Kな仕事は男がやればいい。女性に重たい荷物を持たせる必要はない。一方で男女同権と言いながら、例えば男を保育や看護の世界に押し込むと、母親から、「うちの娘のおむつは男の先生に換えさせるな。」などというクレームがでる。それがクレームなのか、それとも当然の反応なのかは難しい問題だが、女性がすれば問題が生じないのなら、きっと女性の仕事ということなのだと私は思う。間違いなく女性の方が得意なことがある。一方で女性には不向きなこともある。尊敬し、助け合う気持ちさえあれば、差別ではない区別によって世の中はうまく動いていく。この旅で、妻の私よりすごいところをまた発見できた。本当に参りました。(私のダメなところを発見したとも言えるか...。)

 地下鉄駅の入口に到着した。階段を降りようとしたその時、ジェンが知人とばったり出会う。彼女から紹介されたのは、一般財団法人自治体国際化協会シンガポール事務所の所長さんで、JETプログラム関係で知り合ったらしい。日本人だ。突然、名刺が差し出される。初対面の人にはまず名刺。なんてみごとなまでの日本人なんだ。私もすかさず懐から名刺を出す。こんな旅先にまで名刺を持ってきている私も、また日本人である...。(^_^;)

 地下鉄の券売機の前には長蛇の列。ジェンらはez-linkカードなので、すでにある程度の金額がチャージ済みのようだ。私達は昼間使ったカードにチャージするのだが、私は操作を誤ってしまい、新しいカードが発行されてしまった。ありゃ。ま、いいか。

 南北線に乗り込み、私達はOhchardまで、ジェンらは二つ手前のDhoby Ghautで降りて北東線に乗り換えるらしい。お別れの時間が近づく。列車内の空気は博多の地下鉄と何ら変わりない。ただ、夜の列車特有の寂しさが漂っているだけ。そして列車は、あっという間にDhoby Ghautへ到着する。多くの人がここで降りてゆく。彼らもその流れに流されていく。駅のホームから笑顔で手を振ってくれる二人に、心からの御礼の気持ちを笑顔に込めて送った。本当に楽しいひとときでした。もっともっと話をしていたかったけど、いつかまた来るね。また会いましょう。ありがとう。ジェン、チュアン。お幸せに。

(つづく)

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2018.05.26

シンガポール旅行記 その58

 さらに河口の方に向かって進むと、おそらくはアジア文明博物館(Asian Civilisations Museum)の裏側と思われる場所にたどり着く。周囲をイルミネーションに囲まれているので一見賑やかな感じだが、決して人通りが多いわけではない。川の向こうにそびえ立つ金融会社のビルをバックに、そこで腕を組んでぽつんと立っていたのがラッフルズ氏の像である。チュアンがここで何枚かの記念写真を撮ってくれた。

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 金融街を背景に立つラッフルズ像...と私たち
 
トマス・スタンフォード・ラッフルズ
(Sir Thomas Stamford Raffles:1781-1826)

 イギリスの植民地建設者。1811年、ジャワ副知事に任命され、統治に当る。このとき、ジャワ島の密林に眠るボロブドゥール遺跡を発見する。1815年にジャワ島がオランダに返還され、イングランドに帰国。この間、1817年に『ジャワの歴史』を著し、同年ナイトの称号を授与された。1818年、スマトラにあったイギリス東インド会社の植民地ベンクレーンに副知事として赴任し、ジョホール王国の内紛に乗じてシンガポールを獲得した。ラッフルズは1822年から1823年までシンガポール東部に留まり、自由貿易港を宣して植民地の建設にたずさわった。また、鎖国中の日本と接触を図るが失敗に終わっている。1823年にはイギリスに帰国し、1826年ロンドンで死去した。ラッフルズは植物学・動物学・歴史学など、当時の諸科学に多大な興味を寄せており、ジャングルの調査をみずから組織している。世界最大級の花「ラフレシア」は、発見した調査隊の隊長であった彼の名にちなんでつけられたものである。(Wikipediaより)

 世界史は常にヨーロッパ人、侵略者の視点から描かれている。教科書をめくっても、先住民の心は簡単には読み取ることができない。ポルトガル、オランダ、イギリスが次々とこの地を占領してきた。ラッフルズもその中の一人のはずである。現代のシンガポールの人たちは彼をどのように見ているのだろうか。銅像にするくらいだから侵略者を見る目ではないはず。ここに住んでいたマレー人たちを搾取で苦しめた独裁者? それとも文明を与え拓いてくれた指導者? 日本も周辺の国々に進出し、植民地化した時代があるが、同様の2つの側面を同時に与えて来たのだろう。大戦から70年あまりが経ち、その間の経済援助、民間交流も含めた結果、今の日本に好意的な東南アジアの国と、敵対心むき出しの近くて遠い国がある。両者の反応を比較すると、歴史は常に分かれ道を繰りかえして進んでいくのだと実感する。今や、ラッフルズの時代から時間が経ち、多くの人種がここシンガポールに集まっている。そんな彼らの心に、この腕を組み遠くを見つめる銅像はどのように映っているのだろう。腕を組んで考えてみたが、勉強が足りない私は、考えたくらいで答えが出ようはずもない。

 「そろそろ帰りましょうか。Raffles Placeから地下鉄に乗るんですよね。私達も同じ方向なので、途中まで一緒に乗りましょう。」

 彼女たちの導くままに駅へと向かう。ぶらぶらと歩き回った上に、色々と感じ、考えながら歩いていたため、自分が今どのあたりにいるのかをほとんど見失っていた。しかしガイド付きの時間故、不安感は全くない。

 川を渡ろうとするとき、チュアンが立ち止まり、「私はシンガポールの橋の中で、これが一番好きなんです。」と話しかけてきた。カベナ橋(Cavenagh Bridge)と言う橋で、シンガポールで一番古い橋であり、小さいけどとっても風格があるからだそうだ。この時の彼の説明の中に馬やら馬車やらが登場してきたことは覚えているのだが、ネイティブ・スピーカーである彼の英語を100%聞き取れたわけではなかったので、帰国後、この橋のことを調べてみた。

(つづく)

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2018.05.23

シンガポール旅行記 その57

 リード橋の上は多くの人々で一杯だ。ここは暑い夏...いや、一年中夏の夜を楽しむ若者達が集まってくる「夜の中心地」のように見える。

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  バーやレストラン、アトラクションなどが集まっている

 橋を渡りきると、リードストリート(Read Street)とクラークストリート(Clarke Street)が交差するアーケードが現れた。イルミネーションとライトアップで色とりどりに染められ、まるで日没と共に起き出した夜だけの街のよう。通りの両側にはレストランやおしゃれなカフェバーが並び、店の外側にはみ出たテーブルで人々がビールや夕食を楽しんでいる。ゆっくりと流れる人々の時間の流れを眺めながら、その中をすり抜けるように歩く。スーパーツリーのようなオブジェや緩やかに蛇行する通り、そして夜空からも切り離されたこの狭い空間のおかげで、まるでディズニー・シーかユニバーサル・スタジオを歩いている気分である。そう、まるで映画のセットのような、見事につくられた癒やしの空間だ。

 予習など全くしていなかった場所だったため詳しくはわからないが、おそらくはこの一帯が「クラーク・キー(Clarke Quay)」という施設に隣接した付随の街なのだろう。ショッピング街や飲食店だけでなく、川沿いの風景も楽しめるように仕組まれている。シンガポールに来て感じていること。それは、「ずーっとテーマパークにいる気分」だということである。この国はそういう国なのだ。実際のユニバーサル・スタジオ・シンガポールという施設もあるが、もしかしたら街全体がそれと融合しているんじゃないかと思うほど。なんて壮大なテーマパークなのだろう。

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      日本でもどこかにある?

 川沿いには、ここに来る前に偶然、日本の芸能人がシンガポールを訪れる旅行番組でも見た「G-MAX リバースバンジー」が、まさにそびえ立っている。横を通りかかった時には、逆バンジーを楽しんだ人たちがちょうど降りてきているところだった。乗り込むところだったら、飛び出すところを見るべく、しばらく立ち止まったことだろう。高所恐怖症の私は、乗ろうという気持ちは持ち合わせていない。こんなアトラクションが、街の中にいきなり現れる。日本ではせいぜい観覧車くらいだと思うが。文化と歴史と、そしてアミューズメントの国である。

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    ボート・キー(Boat Quay)の屋台群 なんて魅力的な眺めだ

 気がつけばJumboの正面も通り過ぎていたようだ。対岸には屋台の群れが見える。川面に映る灯がどうしようもなく心を惹きよせる。この国に長く滞在して、あの屋台を端から順に楽しんでみたい。地元の人たちの声が聞こえる場所で異国の時間を味わいたい。「違う」ということは、かくも魅力であることを改めて思う。肌の色が異なり、気候が、食が、住居が、言葉が異なり、そしてそれにより作られてきた歴史と文化が異なるということ。それこそが、私達の好奇心を刺激し、知る喜びそのものでもある。この世界に標準など存在しない。自分の定規で世界を測ってはいけない。そしてよーく見てみると、みんな同じ。同じように生きてきたのだ。同じように生きていれば、自ずと今は違ってくる。「同じ」と「違う」は同じなのだ。

(つづく)

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2018.05.09

シンガポール旅行記 その55

 Jumbo - THE RIVERWALK店に到着。エアコンが効いている店だと聞いていたので屋内だと思っていたら、川沿いのオープンスペースだった。いや、奥の方には室内っぽい席もある。予約は入れてあったようだが、ちょっとだけ待たされた。(ここは日本ではない。)結局、入口付近の屋外テラス席に案内される。ジェンは中の方のエアコンが効いた席をイメージしていたようで、なんとなく我々に対して申し訳なさそうな表情をしていたが、そんなに暑くてたまらないわけではない。これはこれでいい雰囲気だ。旅の醍醐味をも味わえるというものだ。

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       こういうテラス席の方が雰囲気がある

 思い起こせばオタワの街を歩いたとき、オープンテラスの店の多かったことを思い出す。心地よい日差しの中、昼下がりの通りに並べられたテーブルにつき、時間を忘れてのんびりとワインでも飲んでおしゃべりをするのが、今もなお私の夢である。そんな人生を送りたい。日本にいる間は無理だな。今度カナダに行った時こそは...。とりあえず、これからのひととき、素敵な時間になりそうだ。

 料理の注文はすべてジェンにお任せ。飲み物はもちろんタイガービールをお願いした。メジャーなビールなので、缶なら佐世保のイオンでも買えるが、生ビールを飲める機会はさすがにない。彼女はメニューを開き、店員に話しかける。聞いていると会話は英語ではなく、おそらくは中国語。彼女はシンガポールで一番多い中国系なのだ。英語も中国語も日本語もできるなんて、言葉に堪能な人はやっぱりうらやましい。彼女に「このお店では中国語しか通用しないの?」と聞いたところ、「そんなことはないですよ。英語も通用するんだけど、彼女は中国系っぽかったので、中国語で話しかけたんです。」だそうだ。この国の共通語は英語だが、それぞれの民族内では自分たちの言葉で会話しているようだ。

 注文された料理は、

カイランの炒め物
ホタルイカの唐揚げ
チリクラブ
揚げパン
ブラックペッパークラブ
ミーゴレン(マレー風焼きそば)  ......と、タイガービール!

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 まもなく、料理が運ばれてきた。ここでもカイランの炒め物が出てきた。これは地元の定番なのだろう。やや油っぽいがしつこいほどではない。味付けは控えめであっさりしており、ほどよい加減である。ホタルイカの唐揚げは日本でも食べられそうな、日本人好みの味。さくさくしておりビールに合う。そしてなんと言っても主役のチリクラブ。殻ごとチリソースで炒められているため、手で持って食べるとべたべたになる。殻も固いので殻割り器でバキバキわりながら食べるのだが、これがとてつもなく旨い。レモンのかけらが入ったフィンガーボールがテーブルに置かれているが、とりあえず食べている間は指もなめながらソースの味を堪能する。きっとそういう食べ物なのだ。チリソースの味はとってもマイルドでクセはない。辛いのが苦手な人でも全く問題なく食べられると思う。揚げパンはソースにつけて食べる。そう言えばSONG FAでも出たなぁ。もしかして揚げパンがシンガポール人の主食なのかもしれないと思うほど。

 我々が美味しいおいしいと言って食べるもんだから、ここで追加するように注文されたのがブラックペッパークラブ。チリクラブとの見た目の違いは黒い胡椒の粒が加わった程度なのだが、食べてびっくり。断然こっち! いや、チリクラブは100点なんだけど、こっちが120点ってところか。黒胡椒が味を思いっきり引き立て、ぴりっとした辛さがアクセントをつけている。旨い、うまい。ビールおかわり! カニがこんなに旨いと感じたのも久しぶりかもしれない。いや、日本人のカニの食べ方とはかなり違うので、初めての味に感激したのだろう。初物に弱い妻が珍しく笑顔で食べている。ミーゴレンもお気に入りだったようで、帰国後も「旅の間の食事は、JUMBOが一番美味しかった。」と言っている。ここに連れてきてもらって本当に良かった。

 会話は弾む。日本で過ごしたALT時代の出来事、シンガポールの歴史、シングリッシュがいかになまっているかということ、佐世保西高での出来事、この旅の出来事、明日のオススメの場所、そしてポケモンにスターウォーズ。そうそう、私達から彼らへのお土産は、ジェンの好きなポケモングッズに、チュアンの好きなスターウォーズのTシャツ。何にしようか悩みに悩んだ末の品なので、大したものではないけど、セレクトに心だけは込めておきました。気に入ってくれてればいいんだけど。

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リバーサイドの建物はライトアップされていてとてもきれい

 気がつけば辺りはすっかり暗くなり、周囲にに見える建物はどれもライトアップされている。こうした部分にも観光国家シンガポールが現れている。ほんとに美味しい、楽しいディナーだった。「このあと、少しこの周辺を散歩しましょうか。」とのお誘いに、心が躍る。この場は私が持つと言うと、軽く笑いながら「とんでもない。」と言われる。ここは彼女のホームグラウンド。散財をかけたが、素直にごちそうになった。

(つづく)

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2018.05.06

シンガポール旅行記 その54

 夕方になり、ほんのちょっと日差しが柔らかくなってきた。それでも赤道直下の国のこと。さすがに建物の外でじっと待つのはつらいので、中に入り、一面ガラス張りの扉の外をきょろきょろと眺めながら彼女らの到着を待つ。

 あっ、ジェンだ。手を振りながら近づいてくる。向こうが先に気づいてくれたようだ。久しぶりの再会になんだかとってもうれしくなった。夫のチュアンともあいさつを交わす。笑顔に優しそうな人柄があふれているナイスガイだ。彼とは初対面なのだが、フェイスブック上で何度も見かけているため、まるで初めてな気がしない。

 「さぁ、食事に行きましょう。タクシーに乗りますよ。」

 そう言って、彼らの導くままに建物の東側の外に出る。なんだ、こんな所にタクシー乗り場があったのか。ちょうど混み合う時間帯なのだろう。タクシー乗り場には結構な人の列。並んで待ちながら、お互いの自己紹介やここに来るまでのこと、昔の思い出話に花を咲かせる。日本にいた頃の彼女は、周囲の人とはがんばって日本語で話していた。私は積極的に英語で会話するようにしていたので、彼女の中では「英語が通じる人」と思われているのだろう。ここは彼女の母国。当時以上に遠慮がないスピードの英語で話しかけてくる。しばらくは彼女のマシンガン・イングリッシュに耳を慣らすのに必死だった。しかし、会話とは不思議なもので、気がつかないうちに少しずつ慣れていくものだ。もしかしたら彼女の方が自然とリズムを変えていってたのかもしれない。

 順番が回ってきた。あのカラフルなタクシーのうちの一台に乗り込む。そうか、また例の大回りコースなのね。この道を通るのは今日何回目だ? この時ばかりは風景はどうでもいいので、タクシーの中でもジェンの英語に集中する。街のあちこちに残る祝賀ムードの余韻...と言うか掲示物から、話題がナショナルデー(National Day)についてになった。そう言えば、オーチャード通りにもたくさんの掲示物があった。

 ここに来るちょうど一週間前、8月9日はシンガポールの52回目の建国記念日だった。式典はシンガポール国籍を持つものしか参加できないらしいが、町中がお祭り騒ぎとなるようだ。その人々のお祝いの仕方があまりにまちまちで、独立記念日とはかけ離れた、わけのわからないお祭りと化しており、パレードを見るとそれがよくわかるのだと彼女は言う。勝手に「博多どんたく」を想像してしまった。合ってるのかどうかはわからないが。(昔の「佐世保くんち」もそうだった。)

 1965年8月9日、シンガポールはマレーシアから独立した。独立と言うと響きが良いが、マレーシアから独立を勝ち取ったのではなく、実際は追放された日である。シンガポール人にとっては屈辱の独立だったはずであり、その思いがバネとなって今日につながっている。今やマレーシアを遙かにしのぐ発展ぶりで、もしかしたらそうした「今」を祝賀している日だと理解した方が腑に落ちる。これもまた、リー・クアンユーのなしたことなのかもしれない。

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      川沿いのこのエリアの店は京都の川床みたいなもの

 話をしているうちに、あっという間にリバーウォークに到着する。川沿いの賑やかな場所で、チャイナタウンの入口みたいなものか。すぐ裏にSONG FA(松發:ソン・ファ)もある。今から行くのは、Jumboという地元民が愛するシーフードのお店のようだ。観光ガイドを見ても大きく名前が載っている。週末は予約を入れないと席を確保できないほどの店らしい。チリクラブが有名だそうで、写真を見るからにちょっとだけ高級感もある。興味はとってもあるのだが、貧乏性の私達のこと、彼女が連れてきてくれなければまず選んでいなかっただろう。きっと、観光ガイドを片手に安くて美味しいホーカーズを求めて下町をウロウロするだけだったに違いない。

(つづく)

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