2016.10.30

はろうぃんは、はずかしいってば

 講師のSさん宅にお伺いするのに手土産を買おうと、某お菓子屋さんに行く。ハロウィーンに染め上げられた店内。お菓子の詰め合わせもカボチャ色。

 店員さんはどう見ても10代にしか見えないあどけない感じの女性。うちの生徒くらいの年代か。げっ、仮装なの。(^_^;) マントを翻した魔女や小さな角を付けた小悪魔のコスプレ。ちょっと見ているだけでも、もぞもぞするくらい恥ずかしい。

かん「これ下さい。」
店員「承知いたしました。本日はハロウィン企画ということで、じゃんけんに勝ったら、シュークリームを1つサービスさせていただきます。」
かん「えっ!? はぁ...。(^_^;)」
店員「ではいきます。最初はグーです。」

店員「最初はグー。じゃんけんぽん。」(グー)(グー)
  「あいこでしょ。」(チョキ)(チョキ)
  「あいこでしょ。」(グー)(グー)
  「あいこでしょ。」(パー)(パー)…
かん「(うわぁ、恥ずかしいぞ、このあいこ地獄...。)(*^_^*;)」
  「あいこでしょ。」(チョキ)(チョキ)
  「あいこでしょ。」(グー)(グー)
  「あいこでしょ。」(グー)(チョキ)

店員「おめでとうございます。しばらくお待ち下さい。」
かん「はぁ、はぁ、はぁ...。orz(ぐったり)」

 当分、この店には来れないかも。(^_^;;;;;;;;)

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2014.08.03

初めての茨城旅行記(ほんと?)

 久しぶりの東京です。つくばEXにも乗りたくて、泊まりは上野。

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 秋葉原と上野、東京満喫です。それにしても、つくばエクスプレスは速い! わずか45分で到着。乗ってるときの体感は新幹線でした。(^_^;)

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 上野駅前に立つとスカイツリーが見えるんですね。これは初体験。

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 初日の晩は暇だったので、ちょっとだけ山手線沿線をぶらり。みゅーみゅーさんたちと初めて会った有楽町に行きましたが、ガード下の店が減り、なんだか寂しくなっていました。ここで一杯飲もうかと思ったのですが、そんな気になれない店ばかり。結局、上野に戻り、夜のアメ横へ。

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 小さな焼き鳥屋に入ったのですが、これが当たり。お客は少なく、テレビを見ながら静かにビールと枝豆と焼き鳥を楽しみました。安かったし、美味しかった。

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 入口の外には猫さん。匂いに寄せられてきた常連さんかな。(外が昼間みたいに見えるのは、向かいの店の照明のせい。)

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 締めに入ったうどん屋は最悪でした。(-_-;) 讃岐うどんを知らない讃岐うどん屋か。

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 つくばには....ロケットしかありませんでした。(^_^;)

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 静かでいい感じだけど、自転車かバイクがないと繁華街(があるのかどうか分からないけど)へは行けないのかなぁ。ほとんどTX駅周辺しか回ることができず。

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 2日目は撮影会で大洗港へ。港の市場をながめながら水族館へ。水族館では魚ではなく、見学に来ていた幼稚園生ばかり撮ってました。

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 最終日。生徒に「もう一度、東京見物して帰ろう。どこに行きたい?」と聞いたところ、築地に行きたいというので、案内しました...が、ご覧の通り。(この写真がファーストライトに。)

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 しまった。(>_<)

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 しかも歌舞伎座までも。やられたぁ。

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 銀座から有楽町方面へ。(セルフポートレート)

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 やっぱ、この空間、好きだなぁ。

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 気がつけば原宿を歩き、

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 雷門をくぐり、

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 ツリーをつまみ、ながめながら一息。

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 もう、東京お腹いっぱい。(´д`)

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 帰りの飛行機、機内に1時間半も閉じ込められたことも思い出になるか。

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 ちょっとだけ虹が見えた福岡の空でした。(茨城大会のレポートになってないぞぉ。)
 

#結局、我慢できずにヨドバシカメラ上野店であれを買ってしまいました。(^^)

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2013.02.23

カナダ旅行記 その72 (最終話)

 思えばこの旅は、妻の思いがけない一言で始まった。

 「二人で行ってきたら?」

 唐突だったが、こんなに嬉しい言葉はなかった。その喜びにはいくつかの思いが重なっていた。

 この20年間、出会ってきた代々のALTたちと会話をするうち、なんとか英語も話せるようになってきた。加津佐町では英語が堪能な地元のおばさまたちと英会話教室を楽しんだ。上五島ではALTを家に招待し、招待され、子供も一緒になって仲良くなれた。でもそれはすべて国内の話。誰に話しても「えっ!? 海外行ったことないの?」と驚かれた。いつか海外の国で自分の英語を試してみたいと、ずっと思っていた。

 オーストラリアに移住し、日本人向けのツアーで生計を立てている知人からも、今回の旅のホストであるメラニーや彼女のお母さんエリザベスからも「ぜひ遊びに来なさい。」と言ってもらっていた。おそらくはそこに行きさえすれば、後のことは全て世話をしてくれるであろう頼りになる人がいる。海外未経験者の私には、こんなに心強いことはない。いつしか、あこがれの国がスペイン、ポルトガルから、オーストラリア、カナダになっていた。

 それでも、海外旅行など一生できないだろうと思っていた。

 年を重ねるにつれ、仕事がどんどん忙しくなってきた。若い頃は何も背負うことなく、ひたすらに目の前の教科指導や部活動に明け暮れていれば良かった。主任と名の付く仕事が回ってくるようになり、自分のしたいことはできず、人の気づかない所で四苦八苦する毎日では、費用の安くて済むような時期に1週間以上も休みを取る事なんて、どんどんできなくなってきている。唯一、長期(と言っても1週間が限界)の休みが取れるお盆の時期では、家族4人となった今、車一台分の費用がかかる旅行なんてとんでもない。現実の生活が目の前にある。もっと若いうちに海外旅行くらい経験しておけば良かった。軽い後悔の念は持ちながらも、「まぁいいや。」という感じで流し、流されていた。

 ある日、メラニーが癌にかかったことを知る。この2年間の闘病の様子をメールやHPで追いかけていた。彼女を励ますため、何度もメールを送った。元気を出してもらうため、共に過ごした頃の懐かしい写真をミニアルバムにして送った。放射線治療の結果、順調に回復している事を知り、本当に安心した。彼女が日本を去る日、「結婚するときは招待状をちょうだいね。お祝いにかけつけるから。」と約束をしていた。その日が来たら、それをきっかけにカナダに行こうと思っていた。ところが彼女は自分の研究に没頭し、いつしかハーバード大学の大学院を卒業するような人になっていた。結婚する様子がまるでない。いつまで経っても招待状は来そうにない。でも今、会っておかないと後悔する日が来るかもしれない...。そんなことを考えるようにもなっていた。

 女の子を授かったとき、いつか彼女を手放す日が来るということばっかり想像していた。それは仕方がないことだが、その分、家族の時間を大切にしたいと思っていた。子供たちも大きくなり、その日がどんどん近づいていることを実感する中で、おそらくは最初で最後の「娘との二人旅行」を、人生初の海外旅行という形で実現できる。これは妻からのプレゼントだと思った。女同士は一生つながってるだろうが、父と娘の縁は先が細るものだ。だからこそ、申し訳ないと思いつつも素直に受け取れた。

 こんな思いが重なっていた。

 それでも、海外旅行など一生できないだろうと思っていた。

 まったく決心できなかった私に、「二人で行ってきなさい。」の一言で背中をどーんと押してくれた妻に心から感謝している。全てはあなたのお陰です。

 この旅の話を持ちかけたとたん、あの短期間にありとあらゆる方面に手を回して、完璧なプランを立て、私たちを楽しませてくれたメラニー。あなたがいなければカナダには行かなかっただろう。本当に素晴らしいたくさんの経験をありがとう。

 そして、こんな父に1週間もつきあってくれた娘。おかげで楽しかった。一生の思い出ができた。今度はまた別の機会に、再び海外を経験してきなさい。心の大きな人になりなさい。

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 カナダ、カナダ、カナダ。

 これが私の「カナダ・ストーリー」である。

おわり

Someday 「カナダ旅行記2」 will come.

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2013.02.18

カナダ旅行記 その71

 さて、最後のANA機に乗り込む手続きである。ここに来てやっと、成田-福岡間の飛行機の座席がバラバラだということに気がついた。しかしそこは日本の航空会社。あっという間に隣席に替えてくれた。やっと乗り換えの手続きが完了したのである。

 待合室に入ると、ここは東京であるにもかかわらず、ほとんど家に帰ったような気になっていた。すでに見慣れた東京土産にも、今は興味がわかない。近くに公衆電話を見つけ、自宅に到着を知らせた。もうすぐだ。いや、次は福岡か。

 福岡便の記憶はすでにどこかに消え去ってしまった。気がつけば福岡空港。全ての荷物を引きずりながら、地下鉄で博多駅に向かう。時計はすでに19:00を回っている。博多駅の地下で夕食をとる。6日間とは言え、海外から帰ってきた私は、最初に何を食べたいと思ったか。それは「刺身」だった。やっぱり日本人だったか。新鮮な刺身と九州醤油の味を噛みしめ、カナダと一緒に生ビールで流し込んだ。

 20:33発の特急みどりに乗り込む。いつものみどりも、この時間にこの荷物を抱えてだと、まるで別の列車のようだ。往路と同様、車内の最後列の座席に座ると、座席の後に大きなスーツケースを置けるのだ。

 夜行列車は嫌いだ。風景はなく、ただ光が後に流れるだけ。もの寂しさだけが車内にも漂う。フィナーレはとうに終わっている。何もない。ただ心の中から溢れ出るものだけは今も止まらない。やがて暗闇の狭間にはさまれる街明かりが、気がつけば佐世保になっていた。駅の改札を出て駅舎を出ると、目の前の道路に我が家の車が停まっていた。妻が迎えてくれた。

 ただいま。無事、帰ってきました。

 車の中でも、家に戻っても、話したいこと、伝えたいことが一杯で、何からどんな風に伝えて良いのかよく分からなかった。帰宅も遅かったので興奮したままながらも、この日の晩は寝ることにした。明日は、絶対時差ぼけで補習なんてできないと思い、休みを取っている。明日、いや明日からゆっくり話をしていこう。お土産も明日ね。

 
 日本の蒸し暑い夏の夜が、そして狭い我が家がなつかしいと思った、初めての夜だった。

 
つづく (次回、最終回)

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2013.02.17

カナダ旅行記 その70

 いよいよ日本に着いた。成田は相変わらず広く、飛行機はターミナルから離れた位置に止まる。タラップを降りて、リムジンバスに乗り替えるのだ。日本の地に降り立った瞬間の感想は、

 「うわぁ、蒸し暑い...。(^_^;)」

であった。完全に、あのよく知っている「ねっとり」とした日本の夏だ。ここに来て、いかにカナダの夏が涼しく乾燥していたかがよくわかった。同じ8月とは思えなかった。

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 目の前に巨大なパンダがいた。娘が写真に撮りたいとそわそわしていたので、「さーっと走っていって、ぱっと撮って帰ってこい。」と指示。リムジンバスに乗り遅れると知らんぞ。

 入国審査はもちろん何の問題もなく通過。目的は帰国だもの。

 ところで、この旅でもっとも不思議であり、かつ予想と違っていたのが「税関」である。この旅に出るまで、税関では検査官の目の前でスーツケースを開いて見せ、中身を確認されるのだと思っていた。実際は(おそらく)X線検査で終わりなのか。申告した用紙に「何も悪いことはしていません。」という趣旨の書き込みをして提出したら、何も見られず、何も言われず、まさにあっという間に通過できた。これは日本やカナダだけでなく、あのアメリカでもそうだったのだ。確かに酒もたばこも生ものも持ち込んではいないが、自己申告をそのまま受け入れるだけで良いの? それとも検査は間引いて行われている? よく分からなかったが、とにかく税関申告書を書いて提出して終わりだった。あっけなくて、がっかりして、安心した。

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左から、日本、アメリカ、カナダの「税関申告書」  もちろん、現地のそれは英語版。


 オタワ空港の受付窓口で「荷物は最終目的地までスルー」と言われたので、機内に持ち込んだ荷物だけを抱え、ANAの国内便(福岡行き)に乗り換えようとしたところ、実はスルーではないことを告げられた。受付にいたカナダ人の彼には、NARITAとFUKUOKAの違いはわからなかったようだ。

 ってことは、スーツケースは今頃、ターンテーブルを回っていると言うことか。すでに税関検査を受けた後なので引き返せない。かなり焦った。

 「ここで一端、外に出て、もう一度税関検査のある所に戻って下さい。出口の所から入れます。立ち入り禁止と書かれていますが大丈夫ですから。」

と言われた。国内便に乗り換える人たちのコースではなく、成田で降りる人たちの出口のことだろう。一端、外に出てそちらの方に周り、その出口(入口?)とやらを探すが、これがなかなか見つからない。また焦る。

あった。ここか。到着客を待つ人々をかき分け、その人たちの目の前で「立ち入り禁止」の出口から中に入る。周りの目はどんなだったか。

 やっと元の税関の場所に戻った。係の人にスーツケースの出口を聞く。かなり向こうの方だ。まだあると良いのだが。

 しかし、スーツケースが見当たらない。探せども探せども、「Softbank Hawks」と書かれた黒いスーツケースも、娘のピンクの「Miffy & Melanie」のそれも。またまた焦る。(*_*)

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これが、ユナイテッドにボロボロにされたスーツケース。
(メラニーは「生まれて初めて自分と同じ名前が書かれた商品を見た」と言っていた。)

 「あっ! 出てきた。」

 なんと、まだ出てきていなかっただけのようだ。ともかく見つかって良かった。

 もう一度、税関申告書の書き直し。そして同じように税関を通過。やっぱり何もなし。そして再び荷物を預けなおす。
 
 この旅で憶えたこと。入国する時は、預けた荷物も全て手に持って税関を通らなくてはならないようだ。だから往路のシカゴとオタワ、復路のオタワ(でアメリカに入国した)と成田ではスルーにならなかったのだ。次回は間違えない...と思う。(次回はあるのか。)

つづく

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2013.02.14

カナダ旅行記 その69

 飛行機に乗り込む際は、まさにあきらめの境地だった。「またあの恐怖の12時間、いや13時間か。」である。でも、乗らないことには日本に帰られないのだ。乗るしかない。

 我々の座席は中央3人がけの列の真ん中と右。私が中央に、娘を通路側に座らせる。すでに私の隣になる席には、黒人の若い女性が座っている。周囲はほぼ満席だ。

 「 (・o・)! 」

 なんと、往路の飛行機とはまるで違う。大型のスクリーンがない。天井から下がるモニターもない。その代わりに、各座席の前(前の座席の頭部裏)には個人用のディスプレイがあり、好きな映画を選んで見られるようにしてある。明らかに新型の飛行機だ。シートも気持ちきれいな感じがする。室内の雰囲気も穏やかで、機内乗務員も「偽物っぽくない二世」っぽい。完全な日本語を話す人が少なくとも二人はいる。これならコーヒーの雨は降りそうにないぞ。どうやら、復路は全てがうまくいっている。

 離陸し、水平飛行に変わったところで、例の「 Beef or Chicken? 」攻撃が始まった。いや、「ビーフとチキンのどちらにいたしますか?」のサービスだ。飲み物も日本語で頼めるのか。私はどうしようもなく飲みたかった緑茶を注文した。ハチミツ入りではなく、ちゃんとしたティーバッグのお茶とお湯入りのカップが出てきた。安心した。やはり、自分は日本人だと思った。

 食事の味の方はさすがに変わらなかったが、それはもうあきらめている。居心地さえ良ければよし。娘は食後のデザートにチリを食べるのかと思えば、さすがにそれはないようだ。このチリはどうするのか。その答えは簡単だ。食べないという人がいると、食べなければならなくなる人が出るだけのことだ。

 結局、飛行機内でのスケジュールは、出発時間に関係無く、

 1 Beef or Chicken?
 2 消灯
 3 夜食
 4 途中、Any water?
 5 点灯
 6 朝食
 7 到着

であった。出発が13:00なのに、到着が15:35である。時計は26時間半進んだのだが、実際の時間は13時間半だ。この食い違いがジェットラグを生み出す。

 この間、何をしてたか。ただ、結局往路同様、ずーっと、ぼーっとしてただけだった。本はとても読めなかった。映画も何となくつらかった。(面白そうな映画はいくつも用意されてはいた。)娘に宿題しろとはとても言えなかった。私ならできないと思ったからだ。間違いなく、人生の中で最長の「ぼーっと時間」であったろう。この時は、隣の黒人女性と会話することもなかった。気分が乗らなかったからか。それでも往路に比べると、普通レベルの快適さだった。だからちっとも長く感じなかった。それが正直な感想である。

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この人たちの映画もやっていた。映画館で近日公開の時期のことだ。

 そして何事もなく、成田に到着したのだ。(途中、チリは美味しく頂きました。)

つづく

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2013.02.13

カナダ旅行記 その68

 さて、次の心配は成田までの航路だ。もちろん、大幅な時差がある。

8月16日(木)
 Ottawa → Dulles(1:31)
  10:03    11:34(CANtime)
  10:03    11:34(UStime)
  23:03    0:34(JPNtime)

       Dulles → Narita(13:35)
        13:00     2:35(UStime)
     17(Fri)2:00    15:35(JPNtime)

             Narita → Fukuoka(2:00)
           17(Fri)17:00   19:00(JPNtime)

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 オタワとワシントンDCの間には時差はない。ワシントンDCのオタワからの距離は、往路で立ち寄ったシカゴよりかなり近く、ほぼ南下するような感じだ。もちろん、問題はこのワシントンDCのダレス空港から成田の間である。予定では13時間35分。往路の成田からシカゴまでが11時間19分(フライト予定時間)である事を考えると、若干距離が伸びていることを差し引いても、かなり時間が長くなっている。これは、強い偏西風、すなわちジェット気流に逆らうためだ。こうして実際に飛行機に乗ると、地学で学ぶ内容が実感でわかる。しかも、この飛行中に日付変更線を越えるため、ダレスを立つのが16日の午後1時であるのに、成田着は17日の午後3時半となる。往路で得をした分、復路で損するのか。朝四暮三はつらい。

 1時間半のフライトなど一瞬に感じた。機内で何をしていたかすら思い出せない。あっという間にワシントンDCだ。ダレス空港が眼下に見え始めた。着陸態勢に入る。少し緊張してきた。着陸が、ではない。乗り換え時間はわずか1時間半だ。ちゃんと乗り換えられるのかである。ユナイテッドからユナイテッドなので、荷物は間違いなくスルーだろう。ただ、空港のことが分からない。シカゴでの経験がトラウマになりつつある。

 無事着陸。再びアメリカに入国だ。飛行機も小さかったので、すぐに降りられた。ボーディング・ブリッジを渡ると、そこには...

 何も無かった。

 いや、人もお店も一杯だったのだが、入国審査や待ち行列がなかったのだ。いきなり、次の飛行機の搭乗口が両側に並ぶ通路に出たのだ。まさに乗り換えだけ。しかも通路は一直線。次の搭乗口はC3なので、右に向かって真っ直ぐ進むだけだ。この往路と復路のギャップは何だろう。逆だったら死んでいたな。とにかく簡単になったんだから、まあいいか。(こればっかり。)

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        (拾いものの写真  人はもっとたくさんいたと思う。)

 通路の両側には「Starbucks」「Dunkin' Donuts」「California Tortilla」「Maui Wowi」「Auntie Anne's」などのお店が並ぶ。スタバはともかく、他はどれも入ってみたい店ばかりだった。とりあえずC3搭乗口を確認した後、どこかに行ってみよう...と言いかけたとき、目の前に「Wendy's」が現れる。

 しまった。ウェンディーズだ。もうだめだ。ここに行くことになるに決まっている...。(^^;)

 私の大好物は、ウェンディーズのチリである。しかし、長崎・佐世保はもちろんのこと、あの日の撤退劇以来、福岡にも見かけなくなった。福岡ドームに行く際の楽しみの一つが、あの日消えたのだ。温かいチリに、チーズとオニオンをトッピングして、ペッパーソースをかけたものを食べながら野球を見るのが私の趣味であったと言っても過言ではない。東京に仕事で行ったときも、街中で目に飛び込んできたウェンディーズに、飛び込んだものだ。この私が本場アメリカの「Wendy's」に行かないはずがない。しかも、我が娘の味覚DNAは確実に私譲りで、彼女もいつしかチリ好きになっていた。

 レジ前の行列に並ぶ。

 「何にする?」
 「チリ2個」
 「そんなに食べられるの?」
 「チリ2個」
 「......。」

 チリはあとで少し分けてもらうことにして、私は「CHILI CHEESE FRIES」にしてみよう。これも美味いのだ。この店で、この旅2度目の米ドルによる買い物をした。結局米ドルはほとんど使うことが無かった。
 
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        「CHILI」               「CHILI CHEESE FRIES」
  
 搭乗ゲート前の椅子に座り、チリ・チーズフライを頂く。うまい。(´д`) 娘は1個だけ食べて、もう1個は機内に持ち込むと言っている。

 そうこうしているうちに、搭乗が始まった。空港を楽しむには1時間半では全く話にならない。ワシントンDC滞在はあっという間に終わった。

つづく

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2013.02.12

カナダ旅行記 その67

 搭乗まで、実は2時間以上もある。早く来すぎたのはわかっていた。メラニーは「早めに飛行場へ行こう。」と言っていたが、きっと仕事があったのだろう。この5日間、ずいぶん仕事を休ませてしまったはずだ。わかっていたので、だまって了解したのだ。時間つぶしはいくらでもできる。売店の品物を眺めるもよし、お茶するも良し。トイレを利用するだけでも、それすらも海外観光のひとつなのだから。

 売店を眺めると、相変わらず買いたいと思わせるものが一杯。でも、まずはブレーキをかけるクセのある私は、なかなか手を出せずじまい。しかし、一口サイズのカナディアン・ビーフジャーキーの魅力には勝てず、ついに複数買ってしまった。お土産は足りているのだろうか。この頃になると、何を買ったかさえ、定かで無くなっていた。

 売店のすぐ隣には食事ができるコーナーがある。朝食は食べたのだが、本当に軽い健康食だったので、せっかくだから何か食べようと思った。席についてメニューを見ると、朝食セットのようなものがある。マクドナルドのソーセージエッグマフィンをばらしてプレートに乗せたようなモーニングだった。プラスチックのフォークとナイフで食べる。うまい。いい感じだ。

 お金を払うとき、手持ちの5ドル札が費えた。カナダで最後の買い物。残ったのはきれいな20ドル札としわの寄った10ドル札、そしてじゃらじゃらとコイン。5ドルが一番可愛かったのに。取っておけば良かった。あとで、ほんのちょっと後悔した。

 私がトイレに行っている間、娘は「Tim Hortons」のコーヒーを飲んでいた。かなり気に入ったようだ。一口、もらって飲んだら...。まずっ。(^^;) カナダ人はこんなコーヒーを良しとしているのか。お前も良くこんなのが飲めるな。カナディアン・オリジナルにちょっとがっかりした。

 まだまだ出発までは1時間以上もあるはずなのだが、搭乗ゲートに列ができている。何の列だろうと思い、係のお姉さんに「登場前に何か手続きが必要なんですか?」と尋ねたところ、「いえ、何もありませんよ。」と言われた。おそらく並んでいる人たちは、席の予約をしていない人たちなのではないだろうか。

 「日本人の方ですか?」

 突然、いかにも日本人風の女性に、日本語で声をかけられた。突然のことにビックリした。

 「これ、何の列ですか?」

 彼女も私たちと同じ疑問を持っていたようで、「すみません。よく分からないんです。」と答えておいた。彼女とはこの一言だけの会話で終わったのだが、見るからに旅慣れた感じなのになぁと思った。

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 空港の待合室から眺めると、メープルリーフのデザインの飛行機が何機も見えた。しかし、私たちが乗るのは、あのユナイテッドである。今度はエア・カナダに乗ってみたいなぁ。
 

 さぁ、いよいよ搭乗の時間だ。さらばカナダ、さらば楽しかった5日間。2日目の晩に帰りたいと思った心は何だったんだろうと思うほど、帰りたくなかった。いつか、また来るね。バイバイ。

 小型のジェット機に乗り込む。あっという間に、オタワの街は眼下に小さくなり、消えていった。

Dscf0234_2 さらば、オタワ...。

つづく

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2013.01.29

カナダ旅行記 その66

8月16日(木) 第6日目

 晴れた朝だった。気候は最後までさわやかだった。心も晴れてはいた。朝食をごちそうになる。冷蔵庫の中に残った日本から持ち込んだ食材を片付ける。メラニーが食べそうなものは残しておこう。いまいち反応がなかった塩せんべいは飛行機に持ち込もう。麦茶も飲まないよね。

 メラニーが娘に最後の会話をしようと話しかける。相変わらず、英語でうまく会話ができていない。英検準2級(当時)を持っているとはとても思えないほどしゃべれない。私の方がイライラしてしまった。しかし、メラニーはわかっている。話すには経験がいるということを。もし、娘が1ケ月間、一人でこのカナダに残って生活すれば、きっと全然違う姿を見ることができるのだろう。1年経てば、私など追い抜いてしまうほどになるのだろう。いつか、それを経験しにまたここに戻ってくればいい。それを自分の心の中の娘に言い聞かせ、そして自分に言い聞かせた。

 トランクにスーツケースを積み込む。車に乗りこむ。さわやかに晴れきった街をすり抜け、空港へと走る。こんな日に限って、車に乗っている時間が短く感じる。あっという間に空港に着いた。到着口と出発口が異なるせいか、まるで違う空港に着いた感じがした。建物の入口のところに車を止め、荷物を降ろす。

 「ここでお別れにしましょう。中に入ると別れが辛くなるから。また会えるわよね。今度は絶対4人で来なさい。来年の夏あたりどう?」

 彼女とお別れのハグをした。娘もしっかりと抱きしめられていた。いつか、また戻ってこよう。そして、手を振りながら彼女の車を見送った。

 建物に入る。ずいぶん小さな空港だということに改めて気づかされる。受付のゲートは目の前のそれ以外ない。迷いようがない。福岡空港で経験したようなトラブルはなく、ここで、オタワからダラス、ダラスから成田、成田から福岡までのチケットを全て手に入れられた。その際、「荷物は最終の福岡までスルーか?」の質問に、返って来た答えは「Yes」であった。念のため再度確認しても同じ答えだった。後にこれにだまされて、ちょっとだけ焦る思いをさせられる。

 出国審査は「国へ帰る。」で終わり。税関も難なく通過。申告書の記入も、来たとき同様、日本で買ったトラベルブックに書いてある通りに書くだけのこと。

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この本はけっこう使えた。セインさんに感謝。

 
 手荷物検査はアメリカ同様、靴まで脱がされた。もう驚きはしない。驚いたのはその後だった。

 スーツケースをもらった後、あそこに行けと言われたその先に待ち構えていたのは、「アメリカの入国審査」だった。全く予想していなかった。なぜ、オタワ空港を出発する前にアメリカの入国審査があるのか。どうやら、カナダとアメリカの間には国家間の提携があって、カナダからアメリカに行く場合は、カナダの空港で審査ができるようになっているのだ。審査があるんだから、どちらであっても同じと思いがちだが、決定的に違うのはその行列の数と審査時間である。この時の待ち時間は、なんと「0秒」である。

 「入国目的は?」

 「日本に帰るための乗り継ぎです。」

 「このパスポートは新しいのか?」

 「見ての通り、取ったばかりです。」

 「日本のパスポートは赤い表紙じゃなかったのか?」

 「あぁ、それは有効年数の違いです。赤いのは10年だけど、この黒いのは5年なんです。」

 「そうなんだ。」

 会話は以上で終わった。後半はほとんど世間話だ。その後、指の指紋と顔写真を取られ、スタンプをポンと押されておしまい。後で良くよく調べたら、「アメリカに入国するんだったら、カナダ経由がおすすめ。入国審査の行列で待たされる時間が全く違うので、まるでVIP扱いのように感じるほどスムーズ。」と書かれたサイトがあった。まさにその通りだった。シカゴでの扱いは何だったのだろうと思った。まあ、いい。簡単だったんだから。

 その後、出発口の方に歩く途中、成田同様、デューティー・フリーのお店がある。規模は全然違い、まさに「売店」という感じだが。売っている物は街で見かけたお土産と全く変わりはなかったが、何度見てもおしゃれなものが多い。ここで、カナダの国旗をデザインしたスーツーケーツ・タグを購入。その際、搭乗チケットをチェックされ、スタンプを押された。何か買い物したことが記録されるのか。これも経験と思えば、買ってみて良かったかも。スーツケースに付ければ目立つと思って買ったのに、いざとなると、ユナイテッドにぼろぼろにされることを想像したら、付けられなかった。

 ところで、お金を払う際に気づいたのは、カナダ人は暗算によるおつりの計算ができないと言うことである。例えば日本だと、1,830円の品物を買おうとして、2,030円を出すと、すぐさま200円のおつりが出されるだろう。ところが、この免税店での買い物の際、$12.50の買い物をしようとして$15.50を出した所、お札を確認したレジのおじさんは、「足りてるよ。」と言ってすぐに¢50を返却し、あらためて$4.50のおつりを出してきたのだ。このくらいの判断もできないのだから、1,920円の買い物に2,420円を出したら、500円玉のおつりを出して来るであろう日本人の感覚は永久にわからないだろう。またじゃらじゃらと小銭が貯まってしまったではないか。何とかならないのか、この国は。

つづく

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2013.01.28

カナダ旅行記 その65

 人々が一斉に帰り始めた。さぁ、帰ろう。メラニーに見つけてもらえる場所に戻らなきゃ。まるでラッシュアワーのような混雑ぶりだ。こちらから彼女の車を見つけてあげなきゃ。

 MINIだ。見つけた。向こうも気づいた。大急ぎで車に乗り込む。

 「どうだった?」

 「本当にすばらしかった。カナダの歴史をしっかりと理解できたよ。言葉なんていらなかった。」

 「よかった。実は、私、まだ見たことないのよ。」

 「えっ!? なんてもったいない。」

 考えてみれば、私もまだハウステンボスのそれを見ていない。地元に目を向ければきっと、もっとすばらしい何かが見つかるんだろう。日本人は狭い島国で生活をしているので、国際化と言われると「外の国」を知ることだと思っている。しかし、それはちょっとだけ間違っている。単なる見るだけの観光をして「面白かったね。」で終わっていては国際人にはなれない。国際交流の場で交わされているのは「比較文化」論である。真の国際人とは、まずは自分たちのことを知り、それを互いに紹介し合い、理解し合える人のことを言うのだ。外国人と会話して初めて気がつくのは、いかに自分が日本のこと、日本の歴史、日本の魅力を知らないかということであった。そして彼らに言われることは「日本独特の文化こそ、他との違いこそが日本の魅力なのに、なぜ日本人はそれを軽視し、外国のまねばかりをしようとするのか。」である。自分のことを知らない者は、絶対に他を理解することなんてできない。他の立場に立って自分を見つめ直すこと。それこそが国際化の第一歩である。それらは全て、タッドが、ウェンディーが、メラニーが、アーリーンが、ケリーが、ブレンダンが、ケイトが、ジェンが私に教えてくれたことである。大事なのは、コミュニケートすることである。

 帰りの車の中で、私は大いに悩んだ。体の中から溢れ出すこの思いを、どうしたらメラニーに伝えられるのか。どんな単語を選び、どんな表現を使えば伝えられるのか。そしてそれをちっとも知らないという事実に、苦悩していた。このもどかしさが、英語を勉強する者に取って最も有効なエネルギーになる。実際はそれをどのくらい維持できるかも大事だが。しかし、感じただけで上達したら苦労はない。あの時の私は、感動と感謝の気持ちを、自分が満足いくようには伝えられなかった。彼女がそれを察してくれたであろうことに期待するしかなかった。

 家に帰り、明日の帰国に向け荷物を整理した。往路時の私のスーツケースには、左半分には自分の身の回り品が、右半分にはこちらで配ったプレゼントが詰まっていた。帰りには空いた右半分にお土産を詰め込むはずだったが、ちょっぴりはみ出してしまった。さらには、今夜もらったイスラム伝統のランタンは金属とガラス製。スーツケースに入れて無事に持ち帰ることは、120%不可能であることは実証済みである。せっかくもらった好意だから失礼がないようにしたいが、持ち帰られるのは1個が限界だとメラニーに言うと、「大丈夫よ。任せておきなさい。」と返事が返って来た。そこでメラニーにお願いして、もらったランタンのうち1個は置いて行くことにした。

 出発前の準備は不安と期待が入り交じりつつも、わくわくばかりの時間であったが、帰りの支度はなんとも寂しい。さらには、往路に立ち寄ったシカゴの空港については綿密な下調べをしていたが、復路のワシントンDCの空港については、今ひとつ頭に入っていないことに気づく。最後までこの旅はアドベンチャーである。

 しまった。帰りの飛行機の座席予約を早めにしておこうと思っていたのに、すっかり忘れていた。そう言うと、メラニーはネットで予約ができないか調べてくれた。残念ながらすでに空席なし。いや、そんなはずはない。きっと往路と同じ。カウンターでは可能なはず。

 「だいじょうぶ。」

 例によって自分に言い聞かせる以外、すではない。もっと早く気づけば良かった。

 これから再びやって来る、堪え難いほどの24時間のことを考えると、また眠れなくなりそうだ。しかし、この試練を乗り越えないと日本へは戻れない。まさに、サザエさんのエンディングが頭の中で流れている状態だった。

5日目、終了。

つづく

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